元陰キャオタクおじさんの剣禅珍道中

かつて陰キャでオタクだった中年男性が侍を目指し、剣道、坐禅、囲碁、短歌、その他に挑んで痛い目に遭ったり、自分のダメさにがっかりするブログ。

迷走録その5 居合(2018~2020)

剣道からフェードアウトしてからしばらく、

再開したいという思いはあった。

しかし私はもう35歳を過ぎていた。

体力も低下しているし今更厳しいのでは

そういう思いがあった。そこでふと思った。

居合ならば上を目指せるので無いか。

 

そこで居合をやっている会に連絡を取り、

見学の後、稽古に参加した。

ここでも当初はへたっぴだったが、

毎週欠かさず練習して徐々にマシになっていった。

そして仕事も幸運にもホワイト企業に転職出来たからか

休日出勤を命じられることも無くなった。

こちらはとりあえず初段までは取ることが出来た。

 

だが、別の問題が発生した。

居合の会をやっているご老人達が立派では無かった。

最初からあまり教えてくれなかったり、

馬鹿にするような態度を取られたりだったが、

毎週稽古に参加し敬意を持って接していれば、

こちらの誠意が通じ仲間と認められる

そのような考えで頑張っていたが甘かった。

 

好意で会の名簿作成をやった結果、

私に無断で私がやることを決め出し、

自分達がやりたくない仕事を私に押し付け、

居合と関係無いことの無償奉仕を要求して来た。

私の都合も言う事も露骨に無視して話が通じない。

向こうは定年退職していて暇だがこちらは仕事がある。

向こうにとって小さな利益だがこちらにとっては死活問題だ。

 

彼らにとって私は価値が無かったのだなと納得して、

引き受けられない旨と稽古に参加出来ない旨を伝えると、

私が来ないと寂しくなると言いだした。だが態度を改めようとはせず、

こちらの意思を無視して稽古に引きずり出そうとしかして来ない。

かくして私は自分の身を守るために退会せざるを得なくなった。

 

以下、今後のために反省点をまとめてみようと思う。

1.剣道は出来なかったが居合なら出来るという考え

このような考えを持っていたから舐められ、

軽視されるという結果を生み出したのかも知れない。

2.自分を軽視する相手に好意的に接した

相手を付けあがらせるだけであり悪手である。

このような人々が変わるのは相手を恐れた時だ。

今回のような場合はすぐに距離を置くべきだった。

3.頑張りすぎた

欠かさず稽古に参加して、電話にすぐに出たりした。

それが相手に誤解を与えてしまった。これは趣味だ。

あくまで仕事や家庭が人生の主であり、それらのために行うべきである。

4.反面教師

私にも原因があったことは事実だが、彼らのような行為はすべきではない。

それが仕事など相手にとっての責任だというのならば話は別だが、

相手には相手の考えや立場があり、好意は借りだと認識すべきである。

彼らがこのようなことをした原因は恐らく驕り高ぶりだろう。

自分も同じことをしないように気を付けなければならない。

剣道・座禅・囲碁・短歌をやっているから偉い訳ではない。

私より下手な人が居たからと言って見下さないようにしよう。

人道的な観点はもちろん。自分の身を守るためにも心掛けたい。

「居合とは人に斬られず人斬らず 己を責めて平らかの道」

居合の祖である林崎甚助源重信公が詠まれたという和歌である。